天王寺蕪や難波ネギを中心とした、大阪の伝統野菜の話を分かりやすく教えて頂き、また、昔の大阪の歴史や地理など盛り沢山で、とても興味深い内容を聞くことができました。
本日お越しの方には天王寺蕪の種も頂きました。
下記、簡単に内容をまとめました。
○天王寺村の天王寺蕪は、江戸時代は全国に普及しており、与謝蕪村など歌人が歌に詠むほど人気があった。
美味しい物を広めたいという人情深い大阪人が干し蕪にして近隣諸国に広めたことにもよる。
○長野県の健命寺のご住職が天王寺蕪をとても気に入り、種を長野県に持ち帰って広めた→これが長野で野沢菜になった。
従って、長野県民は、野沢菜のルーツを今でも大切にされ、漬物の商品の裏側には、天王寺蕪が親との記載があるそうです。
○難波ネギは、今の難波でたくさん作られていた。難波と言えばネギ畑。
九条ネギや白ネギの親である。
一時、難波ネギのぬめりが、調理の際に機械に向かない、また、出荷時に段ボールを汚すという理由で、改良された種が出回った。しかし、伝統野菜に認定されたり、昔ながらのぬめりのあるネギを求める方の支援もあり、伝統的な難波ネギにもどった。
○実際、ネギのぬめりにはナチュラルキラー細胞を活性化させる働きがあるそうで、昔からネギを食べると風邪引かないなどは、根拠のあることのようです。
(ためしてガッテン!でも過去に放送)
○天王寺小学校、大江小学校の校章は天王寺蕪が描かれている
→伝統野菜がいかに地域に親しまれ根差しているかが分かる。
○昔の人は、地形をよく分かって建物を建てていた。
守りやすく攻めにくい上町大地は、戦国の天下を制する「日本一の土地」として、織田信長の日記にも書かれていたそうです。
大阪の地理は、大阪城を中心に番地なども決まっている。
大阪城に近い方が一丁目など。
等など、楽しい大阪の歴史の話もありながら、改めてなにわ伝統野菜の貴重な価値を実感するとともに、身近な自然観察園で育てられる喜びを感じました。